1998年の全日本GT選手権第1戦鈴鹿を制したペンズオイルニスモGT-R。エリック・コマス、影山正美がステアリングを握った。(SAN-EI)

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1998年の全日本GT選手権を戦った『ペンズオイルニスモGT-R(BCNR33型)』です。

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 1995年、市販車のモデルチェンジもあって、それまでのBNR32型からBCNR33型へとベース車両をチェンジし、同年の全日本GT選手権へと投入されたニッサン・スカイラインGT-R。

 導入初年度である1995年のシリーズこそ幸先よくチャンピオンを獲得したが、1996年、1997年は新車導入の遅れやマクラーレンF1 GTRの来襲、トヨタ・スープラ勢の躍進もあり、劣勢が続いたGT-Rは王座から遠ざかってしまっていた。そこでニッサンは、1998年に向けてGT-Rに大きなテコ入れを行った。

 まず、エンジン下にあったステアリングラックを移動することで、エンジンの搭載位置を50mm下げたほか、ギヤボックスの搭載位置も約100mm後方へと移動。それに伴ってシートポジションも動かされ、重量物を中心に集めて重量バランスをさらに改善しようというモディファイが行われた。

 さらにラジエター、インタークーラー、エンジンに流れる空気の流れをスムーズにするレイアウトが考えられたことに加えて、空力面も大きく進化した。ドラッグの低減を徹底的に考慮されたというボディは、1997年モデルにあったフロントのウイングレットを廃してもダウンフォースが得られるようなデザインに改められ、スムーズなラインを描くフロントバンパーとなった。

 加えて剛性面でもロールケージをスペースフレームとして使うような作りになり、リヤセクションはまるでパイプフレーム化されたかのような構造となった。その効果から約30kgの軽量化にも成功するなど、前年型とはまるっきり違うニューマシンとして1998年型のGT-Rは生み出された。

 1997年は導入がシーズン半ばにズレ込んだGT-R勢だったが、1998年は開幕戦からニューマシンを導入。戦いをスタートさせた。前述のような大改良を施したGT-Rだったが、この年は前年に本格デビューを果たしてさらに進化したNSXが強く、GT-R勢はなかなか勝利を挙げられず。そのなかで唯一気を吐いたのがエリック・コマスと影山正美のコンビがドライブした『ペンズオイルニスモGT-R』だった。

 ペンズオイルは、開幕戦の鈴鹿で幸先よくニューマシンのデビューを勝利で飾ると決勝レースが中止となった第2戦富士を挟んで、第3戦仙台でも優勝を果たした。第4戦富士以降はNSX勢が最終戦SUGOまで4連勝したため、勝つことはできなかったが、安定してポイントを獲得していき、結果的にはランキング2位に17点という大差をつけて、見事シリーズチャンピオンに輝いた。

 翌1999年からはBNR34型へとモデルチェンジすることになるGT-R。このペンズオイルはBCNR33型のラストイヤーにGT-R勢としては唯一勝利し、なおかつチャンピオンを獲得して有終の美を飾ったマシンだったのだ。

[オートスポーツweb ]


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