バレーボールのミュンヘン五輪(1972年)金メダリストで、日本代表女子監督も務めた横田忠義さんが5月9日夜、病気のため北海道旭川市内で亡くなっていたことが17日に分かった。75歳。 香川県三豊市出身。県立多度津工業高校から中央大学を経て、松下電器(現パナソニック)入り。中央大1年の66年に19歳で日本代表入りし、ミュンヘン五輪での金メダル獲得に貢献した。76年のモントリオール五輪では4位入賞。同年代の大古誠司さん、森田淳悟さんとともに「ビッグスリー」と呼ばれ、男子バレーを人気でも支えた。 現役引退後、新日本電気(現NECホームエレクトロニクス)の監督を経て、94年には女子の代表監督に就任した。 翌年に退任後は、バレーの指導・普及に務め、約10年前から北海道旭川市に居を移していた。長男の一義さんは元男子日本代表。 取材:北野正樹 文章导航 【バレー】VC長野 トライアウトを実施 5月31日まで受付 V1男子 韓国バレーボール界の「女帝」キム・ヨンギョンが同国代表のアドバイザーとして初仕事